仏式の葬儀では、故人様を納棺する際の副葬品として『六文銭』というものがあります。これらの副葬品は、「あの世でお金に困らないように」や「三途の川の渡し賃」などの理由によって死者と共に埋葬や火葬などされるものである。風習としての六文銭は、現在は火葬場では、紙にプリントした「六文銭」を頭陀袋の中に一緒に入れています。「三途の川の渡し賃」とも言われています。
しかし、現在では、本物の六文銭や現金を副葬品として
棺に入れる事は有りません。
法律上(貨幣損傷)や設備の故障原因になる為に厳しく制限されています。しかし、紙にプリントした六文銭では、いかにも忍びない・・・でも硬貨は入れられない。
『三途の川で困らないように』と本物のお金を持たせようとするご家族の方もおられますが実際は難しい。
そこで!木製の「燃やせる六文銭」があります。(冥銭)
三途の川の渡し船代金が六文銭
死後七日目で「三途の川」を渡る渡り方が、三通りなので(橋、浅い水、深い水)「三途の川」(三途とは地獄・餓鬼・畜生の三悪道の事 )行いの良い人間が川を渡る場合は「橋」
罪の軽い人間は川を渡る場合は「浅瀬」
罪が重ければ川は「濁流」となり恐ろしい竜が行く手を阻む
等と言われています。
ここで、六文銭が必要になる訳です。
「三途の川」には渡し船が存在し、
六文の渡し船代金を支払えば船に乗せてもらい川を渡るのである。
「地獄の沙汰も金次第」とはこの時の話が元になります。
なぜ、そこまでして渡るのか?
それは、向こう岸に渡ると!
奪衣婆(だつえば)という鬼がいて、服を脱がせます。
すると衣服を木にかける役目の懸衣翁(けんえおう)という鬼が、
その服を衣領樹(えりょうじゅ)という木の枝にかけます。服が沢山 濡れていると枝が大きくしなる(曲がる)が、
乾いていればあまりしならない。(曲がらない)
つまり、枝の曲がりぐあいによって
善人か悪人かを見きわめているらしい。
「枝の垂れ方で生前の罪の軽重が分かる仕掛けである」
懸衣翁」と「奪衣婆」が、35日目の閻魔大王の裁判に、
陪席しているので、嘘の申告は出来ないので始末がわるい!
中には自分(悪人)の濡れた服を善人に着せて
奪衣婆の前出て、善人顔をしている奴もいる。
そういう行為を「濡れ衣を着せる」というが、
ここから出た諺らしい。
しかし、悪人は結局
四十九日の最後の審判が下される。
裁判官は泰山王。守護仏は薬師如来
見抜かれるでしょう。